表現講座リーダー養成コースが、修了。
まだまだ課題は、たくさんあるけど、良く頑張った!
まず、リーダーの一人きんちゃんは、技術職で、左脳人間。
産休の間にコーチングの資格を取得し、
そして、表現講座の基礎コースの後、リーダー養成コースにチャレンジ。
そして、まるで、リーダー養成講座の修了を待っていたかのように、
彼女の願いであった「次世代を育てる」という仕事に再就職が決まった。
表現のリーダーとして、活躍するまでには、
もう少し時間がかかる。
今回はリーダー養成講座最終のオーディションには、不合格だった。
どこが成長し、どこが足りないのかは、本人が一番良く知っている。
今後は、月一度のクリニックと、職場で人を教える事を実践しながら、
再度オーディションにチャレンジして、最後まで諦めずに表現講座のリーダーを目指したいと話してくれた。
ーラストに感想文を載せたので、読んでみてね!ー
さて、もう一人のほうき。
きっすいの女優気質。
私にまけない位の感動女王。(笑)
表現の虜になったほうきの目指すところは、
じっくり時間をかけて、表現のプロを目指す事。
もっと、もっと、体感して、
もっと、もっと、身体も心も鍛えて、
ある日ふと気付いたら、最高のリーダになっていた!を目指したと・・・。
表現は理論でない。
自分が実感し、体感することに尽きる。
教えようと思って学ぶと、学べない。
体感して、実感して、感動するのが、一番の近道。
表現のすばらしさを、体感したら、次は表現の深さと出会う。
その深さを体感したら、本当の意味で、自分に足りないものがわかり、
もっと、追求したくなる。
その時にこそ、体感だけではなく、理論が必要になる。
体感した後は、理論が頭ではなく、身体に入る。
だから教えるためだと思って、先に理論から入ってしまうと、
体感するという事が出来なくなってしまい、逆に遠回りをしてしまう。
今、身体と心を改善しているほうきは、
それを誰よりも痛感していると思う。
そして更に、リーダーとして大切な事は、
いかに表現を通して自分が変り続けれるか・・・。
そういう意味では、二人とも基礎の時に比べたら、
すごく成長したし、間違いなく変ったよ!
只、基礎コースは、只楽しい!・・でいい。
でも、それを人に教えるとなると、
リーダー自身がいかに魅力的であるか、
身体と心の綺麗を実践しているか、
教える時の表現力は?・・・などなど。
そういう意味でも、まだまだ、未熟の中での終了となったけど、
本人たちのやる気だけは、高まっているので、うれしい。
真剣に、素直に、表現を愛して、
表現のすばらしさを、共に実感できるリーダーが
厳しい中でも、育っていってくれる事は、私にとっての最高の喜び!
リーダー養成講座・表現講座基礎コース・俳優コースが終わった今、
9月からスタートするアドバンスコース・俳優集中コースに向けて、
私もパワーアップして、エンジン全開。
さあ、頑張って、表現講座を広めて行って、
彼女たちが、リーダーとして活躍できる場も創れるようにしたいな。
と、このコースで多くを学べた私も、静かに燃えている。
リーダ養成コース修了の二人の感想文を載せてみたので、ちょっと長くなるけど最後まで是非お付き合いを!(笑)
まずは、きんちゃんの感想文
↓
<表現講座 リーダー養成講座を終えて>
はじめはかおりさんが受講すると聞いて、そんなコースがあるなら受けて見たいと思いました。人に伝えることで、私も成長するような感じがしていたのです。
コースがはじまると、初級コースでいかに自分ができていなかったかを実感できました。初級コースでやったことを、もう一度復習していくのはいろんな感動があって、楽しかったです。
リーダーコースが終了してみて、リーダーコースを受講するのはまだ早かったのかなと思っています。リーダーコースと言うよりは、応用コースに行った感覚です。まだ、自分の中で初級コースが消化できていないことがよくわかり、自分に足りないものばかりが目に付きます。
私としては、やっと応用コースが終了した感じです。初級コースで終らなくて良かったと思っています。初級コースでは、日常の中で表現講座を感じることはなかったのですが、リーダーコースに入ってからはいろんな場面で表現講座での学びを使えるようになってきた感じがありました。遅いですが、やっと感じるようになって来たのです。
まだまだこれからやることがいっぱいある感じです。
と、同時にリーダーコースを受けて、表現講座のことが良くわかってくると、人に伝えたいと言う思いがどんどん膨らんでくるのを感じました。まだ、伝えるところは未熟ですが、いつか本当のリーダーになって表現講座を広めて行きたいと思っています。
次に、ほうきの感想文
↓
「表現講座 リーダー養成講座を終えて」
6月から始まったリーダー養成講座が終了した。「修了」ではない。「終了」だ。何故なら、まだリーダーとして十分なものが身に付いていないから。それはYURAさんに言われるまでもなく自覚していた。
リーダー養成講座は、私にとって覚悟を決めるためのもの、決意を固めるためのものだったように思う。「自分は表現でやっていくんだ」と。
基礎講座の間は、ただ表現することが嬉しくて楽しくて仕方がなかった。すっかり忘れていた本来の自分を取り戻した喜びだったのだろう。講座という安全な場で、溜まっていた、あるいは溢れてくる感情を、遠慮せずにすべて解放する。その爽快感がたまらなかった。自分の感情を人前で表現することで、自分の表現欲求が満たされる喜びにも酔いしれていた。ただただ、夢中で楽しくて仕方がなかった。
基礎講座が終わった後、「この講座を待っている人がたくさんいるに違いない」と熱く思った私は、講座を広める(教える)側に回りたいと、YURAさんに切望した。
その熱い想いに応えてくださるように始まったリーダー養成講座だったのに、私の思い、気持ち、エネルギーは、どこか浮ついていた。決めてしまうことへの不安だったのだろうか。なぜあんなに迷っていたのか、なぜあんなに気持ちが揺れ動いていたのか、今となっては、自分のことにもかかわらず、正直よくわからない。
講座がスタートした直後に、私は自分のある言動で、大切な人を傷つけ、ひどく怒らせてしまった。気持ちが乱れて、講座に集中するために非常な努力が必要だった。YURAさんは静かに、パートナーのきんちゃんは暖かく、そんな私を、受け入れ、待っていてくれた。
心の乱れを落ち着かせるために、必死で体を鍛えた。丹田呼吸で自分を取り戻そうとした。「今ここに生きること」「今ここで満たされること」に注意を向けた。「講座には、赤ちゃんの目で来なさい」とYURAさんに言われた。「赤ちゃんの目」は、基礎講座の最中、楽しくて仕方がなかった時の私の目。「親のお葬式の翌日でも、女優は舞台に立たなくちゃならない。ちゃんと切り替えていらっしゃい。」という意味だ。音楽と呼吸とイメージで、気持ちを切り替える方法を見つけ、セッションの前に自分を整えた。
家では、反省すべき点は反省し、謝るべきところは謝った上で、私は本来の私であろうと努めた。せっかく本来の自分を取り戻したのだから、また以前の私、嫌いな私には戻るものかと歯をくいしばった。人の顔色を見て言うべきことを言わなかったり、感情を飲み込んで体を傷つけることは、もうしたくなかった。
大切な人との関係が修復された時、講座は中盤を過ぎていた。気持ちが落ち着いたところで、リーダー養成講座が終わった時の自分を想像してみた。「そう簡単に教えられるようにはならない」と思った。ただ、表現講座が私にとってなくてはならないもので、だからこそもっと自分を磨いていきたいという気持ちに変わりはなかった。もしかしたらリーダ養成講座が始まる時点で、こうなることを無意識のうちに感じていたのかもしれない。
リーダー養成講座が終わる前に、YURAさんのもとで学び続ける決意をした。今、気持ちはとても落ち着いている。これからのセッションは、もっと厳しいものになっていくだろうと予想している。それなのにワクワクして楽しみで仕方がない。自分がどこまでできるのか、諦めずに挑戦し続けたい。自分がもがき苦しんで手に入れたものを、他の誰かのために、表現講座やコーチングを通して、伝えられる時がいつか来るだろうと信じている。